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五菱会ヤミ金融事件は、闇金の恐ろしさと背後の暴力団の存在を世に知らしめた事件です。
ヤミ金規制の議論が本格化していく契機にもなりました。
この事件の概要をお届けします。
五菱会は指定暴力団山口組の二次団体。
この会の傘下の闇金グループは、摘発されたものとしては史上最大。
五菱会の母体である美尾組を五菱会発足と同時にやめて、闇金運営に専念していた梶山進が率いていました。
「ヤミ金融の帝王」と呼ばれた男です。
2003年(平成15年)に警視庁と愛知・広島・福島県警の合同捜査本部が、梶山を出資法違反で逮捕。
同年末には会のトップ高木康男も組織的犯罪処罰法違反で逮捕されました。
公判では、97億円もの収益を国内外に隠匿していたことが明るみに出ました。
スイス当局は51億円の預金を凍結し、29億円が返還されて被害者に分配されています。
想像を絶する暴力的な取り立ても明るみに出て、被害者団体の損害賠償請求訴訟も起きています。
闇金の存在が初めて世間の大きな関心を集め、暴力団とのつながりも明らかになった事件です。
これを機に世論の批判が高まり、警察や法曹界も動き、闇金規制の動きが本格化しました。
業界関係者は、この時を境に闇金ビジネスは氷河期に突入していったとさえ言います。
五菱会ヤミ金融事件は、闇金業界の流れを変える大きな出来事だったのです。
2003年8月、出資法違反の疑いで逮捕された梶山進。
山口組系二次団体「五菱会」のナンバー2で、山口組に最大の資金源を提供していたとも言われます。
しかし、東京新聞の「裏社会から見た『五菱会』事件」という、任侠界に取材した記事によると、ヤクザとしてはそこまでの大物ではないとのことです。
ただ、この記事でも取材を受けた人物は、梶山はアイデアマンであると評しています。
利子を天引きして渡し、返せなくなったらグループ内の別の闇金に借りさせ、常に完済させずに元金を膨らませていくやり方を考案したのは彼である、と。
その通りであれば、闇金の地獄を生み出した恐るべき人物と言わねばなりません。
ちなみに、梶山容疑者が自民党の亀井静香前政調会長に献金していた事実が発覚して、問題になったことがあります。
勧誘の仕組みは、多重債務者のリストを手にいれ、「ブラックOK」などと謳ったダイレクトメールを送付するものです。
ヤミ金ビジネスのやり方のスタンダードといってよいでしょう。
組織は多重階層のピラミッドになっていました。
警察の手が入ると「とかげの尻尾切り」をし、なかなか上層部にたどり着けない仕組みです。
旧五菱会
↓
梶山進
↓
七人衆
↓
グループ長(最大で27グループ)
↓
センター(グループ内の顧客情報を収集)
↓
店舗(店長、述べ1,000店舗)
↓
従業員
↓
顧客4万人以上
グループはAR、FC、TO、SI…といったグループ記号で管理され、これはグループの社長のイニシャルだそうです。
そして、グループ傘下の店舗は連番が打たれ、SIの27番目の店舗はSI27という具合でした。
実にシステマティックな印象を受けます。
この多重階層構造の組織は、現代の闇金にも受け継がれており、トップの摘発を困難なものにしています。
常軌を逸した取り立ての実態が裁判で認定され、「判例タイムズ」1282号で読むことができます。
店長・店員は毎日入金情報をチェックし、入金のない被害者に催促の電話をし、3時までに入金がなければ4時までに電信為替で入金するよう要求。
「身内や会社に電話するぞ」「今から家に行くから待ってろ!」「旦那に言うぞ!親兄弟に泣きつけ!」
身内や会社にも実際に押しかけ、金が取れそうだとみるや、実際の借入額より多い額を徴収。
被害者の自宅や関係先に電報。
被害者は他の闇金から借り入れたり、親族の援助を受けたり。
そして親族・友人らとの人間関係も崩壊。
病気になったり、自殺未遂する者も続出。
・・・といった具合に滅茶苦茶なことが行われていました。
五菱会の収益、約100億円の半分以上がスイスのチューリヒにあるクレディ・スイス銀行本店の梶山被告名義の2口座にプールされていました。
送金ルートは日本だけでなく、米国(ニューヨーク)、香港、シンガポールの少なくとも4ルート。
資金に不審な動きが見られたとして、スイス検察当局は51億円の残高のあるこの口座を凍結。
日本に返還を申し出ましたが、日本ではこの種の返金を被害者に還元する法的仕組みがないために時間がかかっていました。
逆の立場になった場合は日本がスイスに返金を求められること、早くしないとスイスの地元からこのお金を当地のための予算に編入するよう求める圧力が高まるであろうことも考慮する必要がありました。
最終的に差し押さえられた金銭は58億円に上り、これをスイスと日本で折半することで話がついたようです。
スイスから返還された29億円は、五菱会闇金の被害者を対象として被害回復給付金として配分されました。
受付は東京地方検察庁が行っていましたが、申請期限は2009年1月26日ですでに遠い昔に完了しています。