闇金の歴史|ヤミ金の基礎知識

闇金の歴史

ヤミ金の発祥から現代まで

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闇金はいつ生まれて、どのように変化してきたのか?

 

90年代後半から被害拡大しましたが、その姿は時代とともに変化してきました。

 

これを闇金業態の変化と被害対策の変遷の両面から見てみたいと思います。

 

 

闇金業態の変遷

 

90年代前半まで

90年代前半までは、闇金、つまりモグリ(無登録)の高利貸しは目立たない存在でした。

 

数も少なく、人脈を通じて集客しており、客は個人というより、自営業者や零細企業でした。

 

マンガで言うと「ミナミの帝王」のイメージです。

 

この漫画の連載開始は1992年であり、80年代~90年代初頭の実情をベースにしていると推定できます。

 

その頃、個人をあくどいやり方で食い物にしていたのは、プロミス、アコム、アイフル、武富士(倒産してすでに消滅)などの消費者金融でした。

 

また、自営業者・中小企業を苦しめていた、日栄や商工ファンドなどの商工ローンと呼ばれる金融業者の存在がありました。

 

当時は、利息制限法の上限以上かつ出資法の上限以下の金利はグレーゾーン金利と呼ばれて、違法ではあるが罰則がない状態でした。

 

そして、出資法の上限金利が今よりずっと高かった。

 

だから刑事罰を受ける出資法の上限以上まで行かなくても、十分すぎる高金利であくどい商売ができたのです。

 

消費者金融と商工ローンの取り立ても脅迫的・暴力的なもので、大きな社会問題になっていました。

 

90年代後半

今日イメージするような闇金、マンガ「闇金ウシジマくん」のような闇金が現われたのは90年代後半です。

 

ウシジマくんの連載開始が2004年なので、90年代後半から2000年代初頭の実情をベースにしていると思われます。

 

利息はトゴ(10日で5割)で、ミナミの帝王のように法の抜け穴をくぐったりはせず、ひたすら脅迫と暴力を行使します。

 

システム金融
90年代後半には、まず「システム金融」の被害が広域化します。

 

事業者を狙い、手形・小切手で決済させ、同一グループで次々に貸し付けて自転車返済させ、元金を膨らませる手口です。

 

都(1)金融
同じ時期に「都(1)金融」が急増します。

 

貸金業の登録を受けて堂々と広告を出しながら、出資法違反の高利貸しをやっている業者のことです。

 

当時は貸金業登録の審査が甘く、数万円の登録料さえ出せば簡単に通ったのです。

 

東京都で登録したものがほとんどですが、営業先は全国でした。

 

東京都の登録で登録年数が3年未満を表す(1)がついて、登録番号に「都(1)」がついているので「トイチ業者」です。

 

ミナミの帝王で有名になった高金利の代名詞「トイチ」と引っかけたネーミングですが、利息のことではなく、都(1)業者の相場はトニ、トサンから始まってさらに上昇していきました。

 

都(1)業者は03から始まる固定電話を使っていました。

 

当時は「電話が03~なら東京の闇金、090~なら地元の闇金という見分け方をしていた」(「ヤミ金融 実態と対策」 木村弁護士著より)そうです。

 

それまでの闇金と大きく違うのは、広告で集客していることと非対面取引であることです。

 

2000年代に入り、警察の検挙や東京都の監督体制の強化により、都(1)金融は激減します。

 

商工ローン国会
1999年、日栄と商工ファンドの2大商工ローン業者のあくどい取り立てが国会で取り上げられ、聞くに堪えない怒声の録音が毎日報道されることになります。

 

商工ローンは闇金ではなく合法業者ですが、高利貸し被害への社会の注目が一気に高まり、法規制に動いていく契機になりました。

 

2000年代前半

商工ローンは勢いを失い、消費者金融もまもなく規制強化で失速するのは目に見えていました。

 

そんな中で闇金被害はピークを迎え、ついにその実態が明るみに出た時代です。

 

090金融
2000年代に入り、全国各地で携帯電話だけを連絡先にした闇金が急増します。

 

電柱やガードレールの貼り紙で集客し、店舗を持たずに待ち合わせ場所で融資・返済を行いました。

 

しかし、対面取引には逮捕の危険が伴います。

 

「取り立てに遭ったらすぐ警察を呼ぶ」対応や「090チラシ剥がし運動」などによって、090金融も急速に廃れていきました。

 

闇金被害2大事件
2003年に闇金被害のひどさに世間の注目を集めた2つの事件が起きます。

 

ひとつは五菱会ヤミ金融事件。

 

山口組系の巨大な組織がバックにいて、100億円もの収益を上げ、その半分以上がスイスに隠匿されていたことが判明しました。

 

もうひとつは八尾ヤミ金事件。

 

自己破産を経て困窮した高齢の主婦が闇金に手を出し、わずか2カ月あまりで夫・兄と3人で電車への投身自殺に追い込まれたものです。

 

この事件は闇金の規制強化のきっかけになりました。

 

2000年代後半

一連の法規制や摘発の強化で、消費者金融も闇金も勢いを失って行った時代です。

 

2003年をピークに闇金被害は減少しています。(木村弁護士の著書より)

 

法規制の強化
2004年には出資法違反の罰則を強化したいわゆる闇金規制法が成立します。

 

2006年には貸金業法改正が行われ、消費者金融や商工ローンなどの合法的高利貸しへの締め付けも強まります。

 

グレーゾーン金利廃止、出資法の上限金利引き下げ、みなし弁済の廃止などが定められ、2010年にはそのすべてが施行されます。

 

ケータイヤミ金
対面取引は摘発の危険が大きくなったため、携帯電話だけを連絡先として客と会う事務所は持たず、振り込みで貸付・返済を行うヤミ金が主流になってきます。

 

他人名義の携帯と銀行口座を用い、多重階層のピラミッド組織にしてトップの摘発を免れる手法も発達してきます。

 

これは090金融の子孫ではなく都(1)金融の進化系であると、闇金に詳しい木村裕二弁護士は見ています。(「ヤミ金融 実態と対策」より)

 

2002年では都(1)金融がヤミ金の51%を占めていましたが、2008年ではケータイヤミ金が60%を占めるに至りました。

 

最高裁判決
違法な金利はもちろんダメですが、元金についてはたとえ闇金であっても返済義務があるのではないか?

 

この問題について2008年の最高裁判決で、利息も元金も払う義務はないという結論が出されました。

 

これ以後、警察の闇金対策マニュアルも整備され、弁護士の対応方針も明確になりました。

 

2010年以降

法律も警察も闇金に大変厳しい時代になりましたが、それでも闇金は生き残っています。

 

最近の闇金の傾向
業態としてはケータイヤミ金が主流になり、事務所で接客する闇金はほとんどいなくなりました。

 

また、取り立ての方法は、借り手本人への脅迫的・暴力的な手法から、借り手の周囲の人間に嫌がらせをして社会的信用を棄損する手法にシフトしています。

 

弁護士や警察が介入してきた場合、深追いせずにさっさと諦めて、追い込みやすい相手だけを攻める傾向も強まっています。

 

ソフト闇金
一方、摘発を避けるために取り立てをソフトにしたソフト闇金というものも登場しています。

 

多少の入金の遅れには柔らかに対応し、以前のように短時間で相手を潰すのではなく、長くゆっくり絞り取るスタンスです。

 

しかし、金利はトサンが相場で、トゴよりマシとはいえ、到底返せるレベルではなく、つきあえば破滅は必至です。

 

弁護士に相談を!
闇金は、闇金に強い弁護士に相談すれば確実に解決できる時代になってきているので、早めに相談していただきたいものです。

 

 

弁護士の目から見た闇金対策の変遷

闇金業界の変化は法律家の目から見てどうだったのか?

 

下記のページではそれを検証します。