闇金の歴史2(弁護士の視点から)|ヤミ金の基礎知識

闇金の歴史2(弁護士の視点から)

ヤミ金と法律家の法廷闘争史

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闇金の歴史のページでは闇金の業態の変遷を中心にまとめました。

 

ここではヤミ金融被害対策に奔走した弁護士の目から見た歴史をまとめます。

 

主に「ヤミ金融 実態と対策」(木村裕二弁護士著 花伝社刊)の第3章の内容に基づいて書いています。

 

 

90年代後半―ヤミ金の登場

97~98年頃から相談を受ける多重債務者の中に、10日で2割、3割といった業者から借りている人が急激に増えたそうです。

 

しかも一人で10社~20社も借りているのです。

 

調べてみると、どれも東京都の貸金業者登録を行っており、スポーツ紙や夕刊紙に新聞広告も打っています。

 

自己破産者に対して大量のDMを送っていることもわかりました。

 

広告、DMともに「ブラックOK」などの誇大な宣伝文句が並んでいます。

 

これがしばらく後に「都(1)業者」と呼ばれるようになるものです。

 

借り手は普通のサラリーマンや公務員などで、被害は広範にわたっており、それ以前の主に自営業者を対象にしたモグリの高利貸しによる散発的被害と様相を異にしています。

 

木村氏らはこうした新タイプの高利貸しの総称を、犯罪性がよく伝わるように「ヤミ金融」とネーミングしました。

 

ヒントになったのは当時システム金融を取材して出版された「笑うヤミ金融」(北田明子著 ダイヤモンド社)という本のタイトルだそうです。

 

1999年、木村弁護士らは警視庁への取り締まり要請と、都庁への事実関係の調査と監督強化を申し入れましたが、反応は鈍いものでした。

 

集団告発の成果

2000年、全国の弁護士、司法書士、クレサラ被害者の会などがヤミ金被害根絶を目指して、「全国ヤミ金融対策会議」を結成しました。

 

2001年からは、被害を一斉に刑事告発する試みが始まりました。

 

2002年の長野県「クレサラ被害をなくす会連絡協議会」の集団告発からは、一覧表形式の統一用紙を使い、証拠資料の振り込み明細書を添付する形式にし、一件当たりの作業量を減らしました。

 

多数の被害を俯瞰したことにより、闇金は大規模な組織犯罪であることが浮き彫りになりました。

 

各県の小物のワルが起こした個別の事件の集まりなどではない。

 

同じ都(1)業者が複数の都道府県で被害を起こし、同じ店長名義の複数のメガバンクの口座にお金が振り込まれていることが判明したのです。

 

この情報をもとに警視庁は他県の県警と合同捜査本部を設置し、都(1)業者の一斉検挙を進めていきました。

 

「全国ヤミ金融対策会議」は都庁への行政処分申立ても行い、大規模な行政処分が繰り返し実行されて、都(1)業者は急減していきました。

 

「闇金には『元金』含め一切払わない」方針の確立

闇金に対処する上で、摘発の方法以外に大きな課題がひとつありました。

 

相手がたとえ違法な貸し付けをしていても、『元金』は返済義務があるのではないのか?という問題です。

 

ここをはっきりさせないと、弁護士や検察の対応も定まりません。

 

『元金』も返済義務なしとすればモラルハザードが起きるという声もあり、弁護士もこの点には保守的な人が多数派でした。

 

しかし、2001年の日弁連の民事介入暴力対策秋田大会協議会で画期的な提案がなされました。

 

ヤミ金融の金銭消費貸借は、公序良俗違反により無効(民法90条)であり、不法原因給付(民法708条)をなしたヤミ金融は自ら交付した金銭の返還請求をできないが、被害者は支払われた金銭について不当利得返還請求をすることができる、という内容です。

 

わかりやすく言うと、闇金の『元金』は犯罪行為のために使ったお金だから、利息はもちろん元金も返済義務はないという説なのです。

 

同様の判断をした2000年の札幌地裁の判決もありましたが、この判断がスタンダードになるのかどうかが大きな課題でした。

 

しかし、折しも闇金の被害は全国的に拡大し、その手口が解明されてくると『元金』の虚構性が明らかになってきました。

 

同じグループ内の業者に次々に返済資金を借りさせ、グループ全体としてみると実際に貸し付けたのは最初の1回だけというのが常套手段なのです。

 

こんなものを全部『元金』と認めていたら、犯罪を助長するだけです。

 

「元金は支払ってケジメをつける」という真面目な考え方が意味をなさなくなるほど、闇金の手口は凶悪化していたのです。

 

2002年、「全国ヤミ金融対策会議」は、「ヤミ金融には一銭も支払わない。払ったお金は全額取り戻す。」という基本方針を採択しました。

 

時を追うごとにこの判断にしたがう地裁の判例は増えていきましたが、反対の見方も根強くあり、司法と警察の対応は定まりませんでした。

 

しかし、2003年に五菱会ヤミ金融グループによる被害総額が100億円近い大事件が起き、松山地裁、高松高裁を経て最高裁にまで行きます。

 

2008年に最高裁は、元本返済不要の判断を下し、結論が出ました。

 

その後、警察でも闇金対応のマニュアルが整備され、「せめて元本だけは返した方がよい」などの対応をしないよう、警察官が教育を受けるようになりました。

 

2003年の2つの大事件

2003年には、世間の注目を集める闇金被害の大事件が2つ起きました。

 

ひとつは八尾ヤミ金事件で、年老いた主婦と夫と兄の3人が鉄道自殺したものです。

 

これにより、闇金の非道さや被害の悲惨さは広く知られるようになりました。

 

しかし、元本返済の是非がはっきりしないため、相変らず現場の警察官は「借りたものは返すべき」といった不適切な対応をする例が後を絶ちませんでした。

 

もうひとつは同年8月の「闇金の帝王」こと梶山進の逮捕です。

 

山口組の二次団体の五菱会傘下の闇金グループが巨大なピラミッド組織で闇金業を展開し、100億円近い被害を出していたことが判明しました。

 

それまでは闇金というとモグリの一匹狼がやっているイメージを持つ人も多かったのですが、背後に巨大な組織暴力が存在していることが明らかになったのです。

 

しかもこの組織は58億円をスイスの銀行口座にプールしており、スイス当局がそれを凍結して、処分方法を日本と話し合うという国際的事件になりました。

 

結局、半分をスイス政府が没収し、半額を日本に返還して、それを被害者に配分するという措置になりました。

 

この事件は巨大犯罪でしたが、2008年に最高裁まで行ったおかげで元本返済の問題に結論が出たのは先に述べたとおりです。

 

銀行口座凍結と被害者への配分の法整備

闇金を抑えるには、法律、支援団体、警察、行政などいろいろなものが足並みを揃える必要がありますが、銀行もそのひとつです。

 

不正な資金は迅速に凍結できるようになっていないと、そこから水が漏れてしまいます。

 

凍結の判断を銀行に任せていたのでは、銀行がリスクを背負うことになり、姿勢の積極性にばらつきが出ます。

 

また、凍結した資金の被害者への配分は、銀行の手に負えない問題です。

 

そこはやはり法の整備が必要です。

 

2005年に振り込め詐欺救済法が成立し、ヤミ金融口座凍結にも適用されることになりました。

 

金融機関が迅速に口座を凍結できるようにするとともに、複数被害者への分配ルールが定められました。

 

被害者は正体不明の闇金業者に個別に民事訴訟を起こす必要はなく、金融機関に対して支払い申請をするだけで済むようになりました。

 

貸金業法改正後の闇金

2006年に貸金業法が改正され、2010年にはすべての内容が施行されました。

 

消費者金融や商工ローンの経営は厳しいものになりました。

 

この法の改正に至るまでは、「消費者金融への法規制を強めれば闇金がはびこるだけだ」といった反対論が強かったですが、現実にはそういう事は起きていません。

 

むしろ、闇金の餌である多重債務者を消費者金融が量産していたのであり、それを助長していたのが法の緩さだというのが真実のようです。

 

2003年をピークに闇金の被害は減っています。

 

取締りが厳しくなり、元本返済さえも認められなくなり、闇金も最近はもうからないビジネスになってきています。

 

それでも騙されやすい多重債務者はまだまだいるので、闇金はなくなりません。

 

最近は、取り立てを緩やかにして摘発を免れようとするソフト闇金なども登場しています。